『みんな元気。』を読む。『煙か土か食い物か』も半分まで読む。

運命に頼りすぎているのかもしれないと思う。運命のせいにすれば自分に責任が被らなくて楽だから、敷かれた運命を一生懸命生きるようにしてきたけど、自分でたくさん考えなくちゃ。昔はよく考えていたけど、その考えが甘くて挫折を重ねるうちに考えることが嫌になってしまって、逃げてしまった。でも自分で考えて動かないと空っぽでむなしいままで、清々しさを味わえない気がする。
OK COMPUTERを取り出して、すっごい久しぶりに無罪モラトリアムを入れる。最初に聴いたときモラトリアムって言葉には執行猶予って訳語を当て嵌めただけの表面的な意味でスルーしたけど、今はリアルな意味がわかる。モラトリアムってのは常に その瞬間 を表す言葉で、何かがくだされるまでの不安と妙に長くて手持ちぶさたで浮遊する空っぽの時間のことを示す。前提となる運命に甘えるのは、そろそろお仕舞いにしようかなと思う。そのためには今までの習慣を抑えなきゃいけないから、それなりに苦労はすると思うけど。

諦めるのはかっこいいけど、見極めを通過しない諦めは単純な逃避であって、それで済ませてはちょっとなぁ…って思うようになった。可能性を探す努力をしてから諦めるかどうか決めたい。